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金型の生産性とプロレスの熱狂は真逆だ スーパー・ササダンゴ・マシンが考える、金型業界のこれから

DDTホームページより引用)

 

DDTプロレスリングに所属し、新潟名物の笹団子をフィーチャーしたコスチュームに身を包んだ謎のマスクマン、その名も「スーパー・ササダンゴ・マシン」。

 

 

2014年に後楽園ホールで開催されたDDTプロレス大会「KING OF 2014」の中で披露した、試合開始前恒例のプロレスラー同士の「煽り」をプレゼンスタイルで行う“煽りパワポ”で大きな注目を集めました。

 

プロレス以外にも、ロックフェスティバル「夏の魔物」でのトークショーに登場したり、TBS系列『水曜日のダウンタウン』にはプロレス関連の企画プレゼンターとして出演。一方、地元・新潟では情報番組「八千代ライブ」でMCを務めるなど幅広い活動を行っています。

 

 

(写真提供:DDTプロレスリング)

 

最近では2018年10月21日に開催された「両国ピーターパン2018~秋のプロレス文化祭~」に出場し、身長3メートルの超巨体レスラー、アンドレザ・ジャイアントパンダと熾烈な戦いを繰り広げました。コスチュームはパンダの好物とされる笹にちなんだ特別な衣装を着用しています。

 

 

▼ スーパー・ササダンゴ・マシンさんのTwitterより。

 

そんなスーパー・ササダンゴ・マシンさんですが、マスクを脱いだもう一つの顔は、なんと企業経営者。なんでも、新潟県新潟市の金型メーカー「坂井精機」の専務取締役というではありませんか! 製造業のものづくりを取り上げる当ブログとしては、目が離せないトピックです。

 

そこで今回は、meviyスタッフの進藤・中島・川野が坂井精機本社を訪問し、プロレスと金型メーカーの仕事についてお話を伺いました。まったく異色の仕事を兼任し、なおも活躍を続けるスーパー・ササダンゴ・マシンさんとは、一体どのような人なのでしょうか?

 

こちらが、スーパー・ササダンゴ・マシンのマスクを脱いだ姿、坂井精機専務取締役の坂井良宏さん

 

普段はプロレスラーの衣装ですが、作業着もとてもよく似合っていらっしゃいます。しかし、そこから覗く腕のたくましさは、まさしくプロレスラーのもの。まずは工場の中を案内してもらいました。

設計から制作までワンストップ、経営者自ら現場に立つ職場

坂井精機は1952年(昭和27年)に粉末冶金の金型製造工場として創業し、今年で66年目を迎えます。従業員は全部で40人ほど。工場内では従業員たちが声をかけ合いながら、黙々と作業されていました。

 

現在は時代のニーズの変化に伴い、粉末冶金金型の他に、自動車部品や家電製品、医療用部品など幅広い分野で精密プラスチック金型の製造販売を行っているそうです。

 

坂井さんは「時代によって作るものも変わってきて、医療関係部品のセラミックなども扱うようになってきました。いわゆる金型専門のメーカーなので、設計から金型の制作まで、ワンストップで対応できるのがこの会社の強みですね。ここまでいろんな金型を作っている会社はなかなか珍しいと思います」と話してくれました。

 

現場には年季の入った機械が立ち並び、迫力があります。使い込まれてピカピカと光るハンドルを操る職人さんは絵になるほどかっこいい! 写真は、ラジアルボール盤で穴あけ・中ぐり作業をしている工程です。

 

こちらの工場ではリニアモータ駆動のマシニングセンターといった最新設備を導入し、生産の効率化を積極的に推し進めていました。歴史と新しさが同居しています。

 

かつては坂井さんも、現場で機械を使った切削や加工、金型の磨き仕上げなど、一通りの工程を経験したそうです。部品を見つめるまなざしは真剣そのもの。

 

従業員と坂井さんの距離がとても近く、まるで家族のように和気あいあいとしていました。こうして現場と密にコミュニケーションできるのは、働きやすさのポイントではないでしょうか。これも坂井さんの人柄が為せる技なのかもしれません。

 

理詰めで生産性を上げる金型と、ファンの熱狂を生むプロレスの両立

meviyスタッフはスーパー・ササダンゴ・マシンオリジナルTシャツを着用し、一同やる気十分。格闘技ファンの中島は、いつも以上に張り切っていました。それではさっそくお話を伺っていきましょう。

 

本日はお時間いただきありがとうございました。プロレスラーと金型会社の二足のわらじというのはかなり特徴的な働き方だと思うのですが、現在はどのようなスケジュールで活動されているのでしょうか?
今は基本的に、朝から新潟にある会社に出勤して、興行や番組収録のときにはいそいそと東京に行く感じですね。2010年に家業を継ぐために一度現役を引退して、あとは一生金型のために捧げようと新潟に帰ってきたんですけど、ありがたいことに今でもプロレス活動を続けることができています。
どういったきっかけでプロレスに復帰されたのでしょうか?
会社で仕事してると、ちゃんと週2日の休みがあるんですよ。プロレスしてたときは土日に試合をやってそれ以外は準備や練習をしていて、決まった休みはほとんどなかったんです。会社で働きながらプロレスなんて最初はできるわけがないと思っていましたが、いざ働いてみると、「あ、これなら土日でプロレスできるな」と気づいちゃって。
さらっとおっしゃられてますが、かなりパワフルですよね。一度引退されてから復帰するまでの間は何をされていたんですか?
プロレスからはいったん離れて、現場で切削や放電加工をしたり、金属加工の基礎を学んでいましたね。その後は一度経営についてしっかり学ぼうと思い、働きながら新潟大学の大学院に入学して、工場の管理運営や経営についてみっちり勉強しました。
仕事をしながら大学に通うってかなり大変ですよね。

 

日中働きながら夜は勉強して、とかなり忙しかったですね。でも、仕事をしながら大学院で学んでいるうちに、金型メーカーは今後どうしていくべきなのか、日本の製造業は今後どうなっていくのか、ぼんやりとした不安やヴィジョンが出てくるわけですよ。そのなかで、仕事以外の部分で好きなことをやるっていうのは意外と大事なことなんじゃないかと思ったんです。
そこがプロレスの復帰につながったということでしょうか。
そういうことですね。生活していくための給料は仕事で稼ぐけど、生活の豊かさみたいなものは自分で探していかないといけないのかな、と。
金型とプロレスには大きな違いがあって、何かを効率よく生み出す製造業の仕事と違って、プロレスってぶっちゃけ生産性がないんですよ。しかし、生産性の低いところにこそ熱狂が宿りやすい。これは自分がプロレスをやっているからこそ、身に沁みています。文化祭とかお金にはならないけど楽しいでしょ?
確かに、いかに生産性を上げるかが重要とされる製造業の仕事と、レスラーのパフォーマンスを皆で盛り上がるプロレスは、そもそもの目的からしてまったく違っていますね。
その巻き起こった熱狂の結果、名前も知ってもらえるし、自分も応援してくれる人たちのためにがんばれる。そういうちょっとコスパが悪いことを一所懸命やるのは、実は重要なことなんじゃないかと思いました。逆に金型は熱狂とは遠いところにある。自分のやりたいことは外でやって、経営や会社のなかに持ち込んじゃダメかなという思いもあります。

 

職人は職人の、レスラーはレスラーの言うことしか聞いてくれない

 

もう少し坂井さんの個人的なお話をお伺いしたいんですけど、そもそもプロレスラーを目指そうとしたきっかけって何だったんですか?
きっかけ……。う〜ん、プロレスの世界って、見るからに面白くないですか? でも、何というか、僕はもともとプロレスラーになるつもりは一切なくて。

 

そうだったんですか!? てっきりずっとプロレスラーを目指していたのかと思いました。
高校では一所懸命、剣道をやっていました。そのあと、早稲田大学の第二文学部に進学して自主映画を撮るようになり、そのつながりで映像制作スタッフとしてDDTプロレスリングに入ったんです。それがきっかけといえばきっかけですね。
はじめは裏方としてのスタートだったんですね。かなり意外でした。
実際に入ってみると、今まで自分が思っていたプロレスのイメージとは全然違ったんです。プロレスはスポーツの要素も持ちつつ、相手との因縁や煽りをマイクパフォーマンスなどで表現しあう演劇的な要素もあります。そうしたリング内の出来事から、中継の映像など細かい部分まで全部自分たちで作り上げるというのがとても面白かったんですよ。DDTは何でもやらせてくれて、小劇場とベンチャー企業の間みたいな不思議な会社でした。

 

まさにものづくりのDIY(Do It Yourself)ですね!
そうそうそう、これが全部自分でできるなんてすごいなって。そのうち、これまでは裏方のADだったのが、ある程度アイデアを提案できるディレクターみたいな仕事をやるようになるんです。
けれども、絶対こうしたほうが面白いのにというアイデアがあっても、なかなかプロレスラーはそれをやってくれない。レスラーはレスラーの言うことしか聞いてくれないんですよじゃあ自分も皆と一緒に練習してプロレスラーになろうという流れで今に至ります。
まず自分が同じ立場になろうという行動力がすごいですね。製造業の世界でいうところの「職人は職人の言うことしか聞かない」という感覚に似ているかもしれません。

 

やはり一緒の現場に立つとみんな優しくなりますね。あとプロレスの面白いところは、ビジネスでよく使われる「PDCA」のサイクルが全てあるんですよ。どんな興行をやるか計画して、実行して、お客さんの反応をその場でチェックできる。そうしたら次の試合をどうしようか考えて……と、PDCAをとてもスムーズに回していけるんです。全部同じチームでやっているから、改善しやすいんですよね。
プロレスを通じて事業運営を学ばれたというか。
そうですね。キャパシティ70、80人くらいの規模でやっていた団体が次第に1万人以上の会場で興行できるまで成長していく過程に立ち会うことができました。当時はまだよくわかっていなかったのですが、会社に戻って経営の仕事をしていると、マネジメントや企画はプロレスにどっぷりだった頃の経験が生きていると強く感じますね
ちなみに、他にもプロレスの経験が自社の仕事に生きているものってありますか?
会社としては、やはりスーパー・ササダンゴ・マシンという独自のキャラクターは強みですよね。うちの仕事を知ってもらう入り口にもなりますし、Tシャツなどのグッズもうちで作って販売していて、その売上はすべて坂井精機に入っています。その利益もなかなかバカにできなくて。変な話ですけど100万の金型を売るよりも、実際はTシャツ100万円分売ったほうが利益率がいいわけですよ。
それはすごい話ですね……。金型がハードな面だとしたら、プロレスは広告的なソフト面でうまく両立しているというか。
しかし、あくまでも本業は金型で、プロレスは本業の下支えです。もちろん、両方うまくやっていけたらいいと思っています。
近年の製造業のトレンドだと、どこも自社製品作ってブランディングしていこうという動きがありますが、うちはスーパー・ササダンゴ・マシンがいるじゃないかと。スーパー・ササダンゴ・マシンはいわば地方自治体における“ゆるキャラ”のような存在なんですよ。そうしたキャラクター的な親しみやすさは大事にしていきたいですね。

 

金型業界はディフェンスで生き残っていく

 

現在は製造業全体がダウントレンドといいますか、業界として動きが鈍くなっています。坂井精機さんの動向はいかがでしょうか。
自社の売り上げを40年ほど遡ったグラフを見ると、もろに業界の景気の影響を受けていますね。金型産業全体の生産額のグラフとほぼ同じ波で推移している。やはり大きかったのは2009年のリーマンショックで、その煽りを受けて2010年以降は業界全体が低迷しています。これは、あながち自社だけの問題ではないんですよ。

▼スーパー・ササダンゴ・マシンの必殺技、「垂直落下式リーマン・ショック」。喰らうと体力が35%減少するこの技は、奇しくも2009年リーマン・ショックで国内の金型生産額が35%激減した現象と酷似している(写真提供:DDTプロレスリング)

 

私は営業で300社以上の金型屋さんとお会いしたことがあるんですけど、やはりリーマンショック以降に廃業されてしまった方がすごく多くて。
あー、やっぱりそうなんですね。
これからどうやって生き残っていくか悩んでいる経営者さんが多いと思うのですが、坂井さんはこういうことをしていかないと生き残れないというお考えはありますか? 先ほどのスーパー・ササダンゴ・マシンの話で、独自性を出して尖っていくという部分がひとつのメッセージかなと思ったんですけど。

 

本当を言うと、実は真逆のことを考えていて金型業界はもうディフェンスしかないと思っています。なんとか残るしかない。生き残るために成形メーカーになるとか、自社製品を作るというのは、厳密に言えば金型メーカーとしての生き残り方ではないですよね。
ですから、ものすごく変な話ですけど、攻めずに自分たちがいまやっていることをひたすら守ることしか考えていないんです。僕は金型事業で、この会社の暖簾を守ることがポイントだと思っています。守るためにできることがあるなら何でもやりますし。
目の前にあるものに愚直に取り組み、暖簾を守りながらスーパー・ササダンゴ・マシンをきっかけに金型について知ってもらい、間口を広げていくということですね。

 

おっしゃる通りですね。金型屋はお客さんからの依頼があるまで動けない「待ち」のビジネスなんですよ。ですので、過度にブランディングを目指すのではなく、お客さんが声をかけやすい金型屋でありたいな、と。
なるほど。他にも、製造業界では人材不足が問題になっています。どうやって人を集めるか、坂井精機さんで取り組んでいることはありますか?
うちの会社は、30代以上の中途で入ってくる人がけっこう多いんですよ。若い人をいかにして呼び込むかという課題にはまだ手を打てていないんですが、私としてはむしろ20代は好きな仕事をしたほうがいいと思っています。他の業種や違うジャンルの仕事を経験していた人間のほうが、金型のことしか知らない人よりも幅広い考え方ができる。その分だけ強いですよね。金型はじっくりやる仕事ですから、別に20代から始めなくてもいいよね、と。今はいろんな働き方がありますし。
その考え方は盲点でした。いろいろ経験した上でフィードバックがあれば、またやり方も変わってきますよね。最後に今後の展望を教えていただければ!

 

プロレスの仕事がきっかけで金型の仕事につながったことも少なからずあり、スーパー・ササダンゴ・マシンとしても金型屋の専務としても、まだまだ新しいことをやっていきたいですね。お客さんと従業員が過ごしやすいような会社というのはもちろんですが、広告塔として動きつつも、ちゃんと金型を作っている現場の人たちの邪魔だけはしないように……。
会社の理想としては、いろんなお客さんが会社に来て、一緒に打ち合わせしたり工場の中で金型を組み立てたりしながら、あーでもないこーでもないと言ってる状態が一番いいですね。そういう感じで坂井精機を奪いあってほしい。なんというか……モテモテの金型屋になりたいです

 

まとめ

最後はスーパー・ササダンゴ・マシンのマスクをかぶっていただき、全員で記念撮影!

プロレスラーと金型会社専務の二足のわらじを履き、今もなお精力的に活動を続けている坂井さん。来年2月には坂井さんがもう一つのリングネーム「マッスル坂井」名義で主宰する「マッスルマニア2019」が両国国技館で開催されます。

今回のインタビューでは「生産性が低いところにこそ熱狂が宿りやすい」という坂井さんの言葉が強く記憶に残りました。

いかに効率化して生産性を上げるのかが重要な製造業と、決して生産性は高いとは言えないものの大勢の人を勇気づけるプロレスは、言ってしまえば対極の位置にある仕事です。しかし、この2つに同時に取り組むことによって、本来は熱狂から遠い場所にあるはずの金型業界に新しい風が吹くのではないか。そう感じた取材でした。

 

これからもmeviyブログではものづくりに携わるクリエイターを応援していきます。

 

 

(ノオト/神田 匠)

 

取材協力: 坂井精機株式会社
https://www.kanagata-is-sakaiseiki.com/
スーパー・ササダンゴ・マシン
https://www.ddtpro.com/wrestlers/207

 

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